大学院の日

howdymoon2013-03-03


昨年度まで在籍していた大学院のラウンドテーブルに参加してきました。
いきなり横道にそれますが,大学院での研究テーマは「学び合う教師集団づくり」というもの。
昨年度まで在籍していた前任校では,研修担当者として,大人の学びをデザインしていました。教える専門家である教師に学び続けることの重要性に気づいてもらうということを,手を変え品を変えやっていたのです。

ラウンドテーブル2日目の今日は,さまざまなバックボーンを持つ方が小グループに分かれて自分の実践を語り合い,聴き合うワークショップ。
私のグループにいたのは,「学びの共同体」を導入している高校の教師,障害福祉施設の職員,学部の4回生,教員養成系大学の附属小の教師,教育社会学の若手の研究者,そしてファシリテーター役をおおせつかった自分。

それぞれの立ち位置が違うからこそ,多様な視点から興味深い話が聞けるので,たいへん面白い。自分はやはり大人の学びを展開して成立するためにはどのような要件が必要なのか,学びを阻害するものは何なのか,学び合うコミュニティがどう変容していくのかに興味があり,その面からの質問や話題提供が多くなった。

こういう場に参加すると,やはり自分の本来の居場所はこういうところなのだと実感する。じゃあ,実際の今の居場所というか役割はどうなのかというと,やはり・・・以下自粛。

中原淳先生のブログを引用すると,

マネジャーになることは「生まれ変わり」に喩えられることがあります。

 入社してマネジャーになる前までは、「ひとり」で「限定的な範囲」における仕事をガシガシやってきた個人が、マネジャーになったあとは、「他人」を使って「より大きな物事」を成し遂げなければならない(Getting things done through others)。

 こう書いてしまいますと、「なんだ、それだけのことかい」「アタリマエのコンコンチキだよーん」というツッコミを受けそうなしますけれども、それは、個人にとっては「大きな転機」になります。

「ソロプレーヤー」であった時分に学習したことの一部を「棄却」して、新たな役割を「再学習」しなければらない。一部は捨て、一部はそのまま残し、一部は「新たな物事との統合」をはかる。そういう「区切り」の時間を、どうしても、ある時期過ごさなければ成りません。

やはり「学習棄却」と「学び直し」が今の課題であり,今年はその「区切り」の時間なのか,と再確認する。
あと3週間ほど,その区切りの時間をもがいていくことにする。


今,iPodから聞こえているのは半野喜弘の「Refugee(亡命者)」
フランス語の女性ヴォーカルの響きとストリングスの揺らぎが心地よい。

さて,締切が水曜日に迫ったレポートでも仕上げましょうか。