T中学校を訪問して考えたこと

 木曜日に大阪まで出かけて、T中学校の公開授業を参観してきた。
今もいろんな考えが浮かびながら消えていく。一つにまとまらない。でも、この考えを文字として残しておくことで、頭の中を整理してみる。

 正直に言って、T中学校は荒れていた。私が到着した頃は、給食後のお昼休みの時間帯。校舎の陰(と言っても、外の道路からはまる見えなのだが)で、男子生徒が5,6人たむろしている。彼らの口元から吐き出される白い煙。でも、まあこんなことは中学校ではよくある光景。校舎に入ると、私たちの学校では考えられない服装の子どもたち、制服の下に色とりどりのフード付きパーカを着て、ボタンを全開にしている。しかもそれがどう見ても1年生という幼い顔つき。

 最初の参観授業は2年生の社会科。「明治維新」の単元。そろそろ授業が始まりそうなのに、教室の中はもちろん、廊下にも生徒がうろうろしている。かなりの数の参観者がいるにもかかわらずである。チャイムが鳴って授業が始まる。机の配置はコの字型。25,6歳と思われる女性教師がワークシートを配付して、全体に指示をしようとするが、おしゃべりは止まない。生徒の半数は机の上に教科書類を置いてもいない。始まって5分くらいで、帽子をかぶった男子生徒が2人、やおら入ってくる。その2分ほど後には、フードをかぶった男子生徒も登場(彼はその後ずっとかぶったまま)。ただ、その子たちの顔つきに険はない。女性教師は4人グループを作らせ、一緒にワークシートの課題に取り組ませる。クラス(24人)の3分の1くらいの生徒は、教科書を見ながらとりあえずやろうとしている。教師はグループを回りながら、そんな少数派の子たちにアドバイスをしている。しばらくして、意見を発表させるが、1対1のやり取りであって、発言は広がっていかない。そんなふうにして、45分が終わっていった。

 なにも批判をしようとしているのではない。むしろその逆。
 あのようなきびしい環境の中で、授業を続けている若い教師の粘りに敬服しているし、学習の空間とはとてもいえない中で、黙々と取り組んでいる少数派の子どもたちのがんばりに感動さえしている。歩き回っている、しゃべり続けている子どもたちにも。おそらく厳しい家庭環境、生活環境の中で、14歳なりにがんばって登校している子どもたちの心情をなんとか理解できないものかと、ずっと考えている。
 もし、自分があの学校に勤務していたら、どんな教え方をするのだろうか、どんなふうに子どもたちに接しているのだろうかと、自問するのだが、答えはなかなか出てこない。
 2週間前にちょんせいこさんの講座で「信頼をベースにした学級づくり」ということを学んできたのだが、自分がわかっている「つもり」だけだったことに、打ちのめされた。自分があの場にいたら、毎日毎日のいたちごっこに疲弊して、自分がすり減ってしまうのではないだろうかと想像している。教師が努力したからといって、荒れを改善するのはかなり難しいことがわかるのだ。教師の努力だけではどうにもならない社会の現実が横たわっているのだから。

 
 この1年、自分の職場で、「授業を改善する」ことの必要性を、さまざまな形で訴えてきた。一斉授業(だけ)の形ではなく、体験的な学習や、出力型の学習、協働する学習、学び合う授業を導入することの大切さを理解してもらおうと取り組んできたつもりである。そして、それがなかなか浸透していかないことに多少のいらだちも感じていた。なぜ、変えようとしないのかと。
違うのだ。T中学校の教師たちは、授業を改善する必要性を感じていたからこそ、グループで協働するという佐藤学氏の「学びの共同体」というスタイルを導入したのだ。
 翻って私たち。なにも授業を変えなくても、今までの一斉授業のスタイルでも学習が(少なくとも50分という学習時間が)成立している。子どもたちはちゃんと机に座ってはいる。今のところ。一見すると荒れているようには見えない。それなのに、○○(私の名前)は「授業改善、授業改善」と唱えている。要するに、私たちには授業を変えなくては授業が成立しないという当時者性が無かったのだ。T中学校を訪問して、そんなことに気づかされた。

 
 公開授業の2時間目。これまた若い(28歳くらいか?)の男性教諭の社会科、3年生の公民分野の授業。財政難の中、消費税を何パーセントにしたらよいのかということを考えさせる内容。予定時間を10分ほどオーバーして60分かかったが、教師は粘り強く一人ひとりに関わっている。子どもたちも、決して集中しているとはいえないが、それぞれにがんばろうとしている(「がんばっている」ではない)。
 私たちの地域(おそらく他の多くの地域も)では、授業規律や授業の流れ、指導案の書き方や、子どもたちの声の大きさや発表の仕方などを重視される方が少なくない。その観点から言えば、あの授業はとうてい認められないものだろう。子どもたちの学びは決してつながっているとは言えず、この単元でおさえるべき基礎が習得されているようにも見えない。それでも、子どもたちはグループでの話し合いをていねいに重ねながら、グループのメンバーの発言から学ぼうとしていた。
 100人を超える参観者の中で、授業者はゆったりとした語りで授業を進めていた。授業の後に授業研究会も控えている公開研究会ということを考えれば、授業時間を10分間もオーバーするということは批判だけでなく、非難の的にもなるだろう。けれども、授業者は50分という「枠」ではなく、子どもたちの「学び」を大事にしていたのだろうということがわかる。

 授業後、公開授業研究会。授業について、子どもたちのつぶやきを丁寧に拾っていた同僚たちが、自分の思いを子どもたちの学びの姿を話していく。
最後に佐藤学氏の講評。授業の成立が難しい環境の中で、どのようにしたらよいのか、子どもたちのどのような姿を見ればよいのかといったことを、滔々と話される。授業の最初の5分が勝負なのだということ、その5分はどんな子にもできそうな課題から始めることが大切なこと、机に伏せった子どもたちにすぐに声をかけをすることが大切なこと、などを話された。さらに、荒れている現状では教師はすり減ってつぶれてしまう、今、何をすべきなのか、管理職はどうサポートしたらよいのか、といったことも。
 
 終了予定を50分以上もオーバーして、佐藤氏はおおいに語り続けた。そのせいで、予定していた帰りの列車には乗れなかったのだが、大阪まで出かけた目的は佐藤氏の話を生で聞くことだっただけに、時間は気にならなかった。
 
 こうして長々と書いてみたのは、自分の頭の中を整理するため。1年後や5年後に、10年後に、46歳の私が何を感じたのかを書き留めておくためである。